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理性の崩壊

老いは今まで培い、取り繕っていた「理性」を崩壊させていきます。

私たちは、成長と共に学校や地域、会社、社会に順応するために、「理性スーツ」を着用し外見を固め生きていきます。それぞれの希望される色に染まり、周りと同じような服を着て、毎日同じ場所へと向かうのです。

 

場を離れる時、多くの人は定年がそれにあたるのですが、「理性スーツ」の上着を強制的に、はぎ取られます。

 

一番外固い外側の殻をはぎ取られた後は、ゆっくり一枚、一枚、理性がとろけ崩壊していきます。そして最後には、全ての衣服を脱ぎ去り、本来の「自我」が目覚めてしまうのです。「自我」とは、他者からの評価は不要なため、恥も外見もなくなり自身の思いだけが一方的に強調されてしまうのです。

 

「理性をなくしたわがまま」=「本来の性質」がそれにあたります。

理性で自身を形どり、よくよく見せているうちは、他者に対し優しく、自愛に満ち溢れますが、もともとの自我の許容量の少ない本来の自分に戻ってしまったら、周りの人たちに理解しがたい驚きを与えてしまいます。

 

老いて腐った醜悪の「自我」をさらけ出す前に「本来の自分」の許容量を増やし、魂を磨いておく必要があります。何故なら、魂を磨く作業は痛く苦しく辛いから、年を取ってから行うのは大変ですし、何よりもそのような機会は限られてしまうからです。

 

「ありのままに生きる(老害)」それは、とても危険な状態なのです。